【Burart Diary】「アイデアの種」を受け止める 〜作家への密やかなメッセージ

不定期更新のBurart Diary。日記形式でダラダラと管理人の日常的なことを綴るような記事です。
お暇なときにでもお読み下さい。

「アイディアの種」が落ちてくる

突如として、アイデアが目の前に“落ちて”くる瞬間がある。
ランニングやスイミングの途中、無心で体を動かしている最中のことが多い。

アイデアといっても、大そうなものではない。
仕事にまつわる新たな視点や、運営しているWEBサイトのこれまでにない切り口など、実にささやかなものだ。
時には、アイデアとは言えないような「古い友人に連絡してみようかな」といった、単なる思いつきのこともある。

口コミサイトで絶賛されている和食店の料理人も、同じようなことを話していた。
彼の場合、それは午前中のファミリーレストランで本を読んでいるときに訪れるそうだ。
客の想像を超える滋味深い料理の源泉が、意外にもファミレスでのひとときにあるというわけだ。

真剣に悩み苦しみ、頭の中を考えがぐるぐると回っても答えが出てこなかったものが、いとも簡単にストンと生み出される感じ。
日々の暮らしのなかで忘れ去っていたものなのに、目の前に突如として現れる不思議な感覚。
しかも、ぼんやりとした形ではなく、極めて明快なものだから驚く。

先日、あるグループ展を訪れた。
以前から応援している美術作家の作品を見るためだ。
しかし、期待していたものの、心動く作品は皆無だった。
以前はよく売れていたその作家の作品が、今回は売約済みを示すシールがどこにも見当たらない。
すでに展覧会の会期は中盤を超えていた。私は作家の成長が止まったと感じた。

おそらくトンネルに入ってしまったのだろう。ただ、いつかきっと抜け出してくれるはずだ、そう思いたかった。

ずば抜けた画力があるこの作家には、天性の才能を感じていた。
モチーフの選択を誤っているのか、迷いが作品に混乱を招いているのか……、芯を貫くコンセプトが欠落しているような印象を受けた。
相当悩んでいるのかも知れない、と勝手な想像が巡った。

グループ展はギャラリー内に複数の作家の作品が入り乱れている。
そのため、自分が感じる印象は、作家ごとに濃淡が出てしまう。
良いか悪いか、引き込まれる作品か否か。
今回は全く別の作家の作品に強烈なエネルギーを感じてしまった。
明らかに最も強い光を放っていた。私の視線は、そちらに吸い込まれていった。

先日、若手作家の1人と食事をする機会があった。
作品のセールスも好調で、今乗っている作家だ。作品のコンセプトを明確に持ち、美術史などにも明るい。
若手作家は、お酒の酔いが進んだのか、名前を挙げながらコンセプトの薄い作家を批評した。
言葉は勢いを感じるもので、自信とエネルギーに満ち溢れていた。
コンセプトの勝利と言わんばかりの作家の成功。
それは、画力だけにあらず、様々な要素が絡み合って形成されていくものだろう。

なかでも、現代アートの大きな割合を占めるのが作品のコンセプトである。
コンセプトが明快な作品は、コレクターから見ても、確かに強さを感じる。

最初の作家の話に戻そう。
作家に、一コレクターの私から、アドバイスなどおこがましいと思う。
でも、その作家に、見失ってしまったものがあるとすれば、アイデアが落ちてくる、自分なりの時間や場所を見つけてほしいと思う。

私やその料理人のように、アイデアは、全く思いもよらないタイミングで“落ちて”くるのかも知れない。
でも、自らの思考に絡めとられていると、その“落ちて”きたアイデアを受け止められない、そう思う。
だから、アイデアを受け止められる自分であってほしいと思う。

いつか、こんな思いが作家に届くことを願って…
グッドラック!

※ランニング中にアイデアが湧き出てくることについて、筆者の知人やスポーツ関係者など多くの経験者が存在します。