【回顧展】 稀代のアーティスト「ゴードン・マッタ=クラーク展」@東京国立近代美術館

ゴードン・マッタ=クラーク展

日本のみならずアジアで初の「ゴードン・マッタ=クラーク展」が開催されました。会場は東京・竹橋の東京国立近代美術館です。

本展は、ゴードン・マッタ=クラーク研究の日本での第一人者である平野千枝子氏(山梨大学准教授)と東京国立近代美術館主任研究員で企画担当者の三輪健仁両氏の力作です。また、「場所」という重要なキーワードを形にする際、限られた空間スペース内にどういうアプローチで表現していくか?について、展示空間のデザインを担ったのが小林恵吾氏(早稲田大学建築学科准教授)。このお三方のコンビネーションによって、公開までおよそ5年もの歳月を要した本展は非常に意義深い展覧会として完成されております。

ゴードン・マッタ=クラークって何者?と言う方は以下の記事もご参照下さい。

さて、会場となっている竹橋の国立近代美術館ですが、敷地内に入ると奇妙なオブジェが迎えてくれます。

《ゴミの壁1970/2018年》作家未亡人ジェーン・クロウフォード氏と小林恵吾氏の研究室学生を中心としたメンバーで制作。

これは、もともとは1970年に制作された「ごみの庭」の再制作、世界の各地でも展示されています。展示場所である国ならでは材料が使われるルールになっており、日本の象徴になり得るゴミや廃棄物を集めて形づくられている作品です。

開催困難な企画

アジアで初となった本展覧会の開催にあたってはいくつもの困難が存在していました。

1)ホワイトキューブ

ゴードン・マッタ=クラークは、ホワイトキューブと呼ばれる美術館のような外界から閉ざされた空間に対して懐疑的でした。そのため、展示活動は主に屋外で行われていたのです。

この点を踏まえて考えると、ゴードン・マッタ=クラークの作品を展示室の中に並べてことは、彼の取ったスタンスと矛盾することにもなりかねないため、企画側としてはこの点に留意して展覧会というパッケージを作り上げなければなりませんでした。

2)本人不在

一方で、既にゴードン・マッタ=クラーク本人がこの世にいない、ということも大きいです。1978年に亡くなってから没後40年という時間が経過しており、作家本人が展覧会に直接関与できないことは、彼の表現方法を展示する上で大きな困難を伴うのです。

3)日本との接点

また、日本との接点がほとんど無いこと=知名度の低さについても、大規模な展覧会を開催する上では大きなハードルだったことでしょう。

ある程度の予算を掛けて進んで行く美術館での開催は、商業的に成功するかどうか?と言う大きな課題に向き合う必要があるのです。

これらの困難を乗り越えて開催された本展の関係者各位には大きな敬意を持って感謝申し上げる次第です。

展覧会の構成

本展は、都市を舞台に活動しゴードン・マッタ=クラークにとって重要だった 5つの「場所」にフォーカスした構成で作品が紹介されています。5つの「場所」に共通しているのは「常に変容している」と言うことです。

また、会場構成のコンセプトは「プレイグラウンド(公園)」。波板のような壁、金属製のフェンス、カラフルなネットなど普段の展示室には存在しない素材を使って会場内を構成。70年代ニューヨークの雰囲気を感じることができるかもしれません。会場内は写真撮影 OK(一部を除く)です。

そして、それぞれの場所におけるゴードン・マッタ=クラークの作品と共に展示されているのが変容している場所に関する「コンテキスト(時間や環境)」に関わる資料。それらを組み込むことで、 現代に生きる私たちは彼が取り組んだ実践の今日的意味を浮かび上がらせます。

1 ミュージアム | マッタ = クラークを展示する

ゴードン・マッタ=クラークは、外界から閉ざされたミュージアムの空間 ( ホワイト キューブ ) に対して批判的でした。であるがゆえに都市に出て活動したわけです。しかし驚異的なスピードで変化していく都市において、彼のプロジェクトの舞台となった建物はほぼ残されていません。彼の「ミュージアム」に関わるプロジェクトを紹介し、本人没後の現在、ゴードン・マッタ=クラークという対象を「展示」することの今日的意味を探ります。

《サーカス》2018年 模型(縮尺1:8) 設計・製作:早稲田大学 建築学科 小林恵吾研究室

2 住まい |流転する空間と記憶

住まいの確保は、生きる上で最も重要なことの一つです。

会場風景〜「住まい」

近代以降、 私たちの多くは故郷 ( ホーム ) としての住居をもたず、転々と移り住むことを余儀なくされています。ゴードン・マッタ=クラークにとって重要だったのは、建築のスタイルではなく、人が「住まう」という経験でした。彼は再開発のなかで建物が取り壊されていくプロセスに介入し、家屋の床や壁を切り取り、穴を穿つことで、捨てられた空間に新たな光を当て、またそこに住んでいた人々の歴史や記憶をも浮かび上がらせました。

《ツリー・ダンス》1971年 [ヴィデオ]モノクロ/サイレント

「壁=紙」1972/2018年 1人1枚持って帰ることが出来ます。

3 ストリート |エネルギーの循環と変容

《グラフィティ・フォトグリフス》1973年

ゴードン・マッタ=クラークは、人や物が行き交うダイナミックな現場、ストリートをしばしば活動の舞台としました。機能的な都市生活に潜む隙間(用途のない小さな土地)や余剰(街にあふれるゴミ、そこかしこの壁に書きつけられたグラフィティ)に注目し、都市のエネルギーの循環や変容を可視化するようなプロジェクトを展開します。

4 港 |水と陸の際

水と陸の境界に位置する港は、古くから都市が発生する起点となり、人や物の交流によって社会を変化させる力をもつ場所でした。ゴードン・マッタ=クラークは、ニューヨークのハドソン川沿いに並ぶ埠頭でいくつものプロジェクトを行います。

《日の終わり》1975年 ※2点組 

3点とも《オフィス・バロック》1977年

水運と鉄道の時代が終わり、すでに荒廃した埠頭で行われた彼のビルディング・カット(建物切断)やパフォーマンスは、社会にダイナミックな変化を生み出してきた港湾都市の繁栄や衰退を照らし出します。

《オフィス・バロック》模型(縮尺1:8) 2018年 設計・製作:早稲田大学建築学科小林恵吾研究室

5 市場 |自然から文化への変容

ゴードン・マッタ=クラークは、レストラン「フード」の運営に関わり、食や料理がしばしば作品の着想源となりました。そんな彼にとって肉や魚、野菜などを扱う市場は、都市の消費サイクルのなかで文化と自然との接点があらわになる重要な場所でした。

彼の食への関心は、生命が人間にもたらされ、料理によって質が変わり消化されていくプロセス、さらにはこのプロセスによって形づくられるコミュニティーへと向かっていきます。

会場風景〜「市場」

まとめ

多くの刺激を伴う展覧会でした。

「場所」というキーワードに内包される、ゴードン・マッタ=クラークが遺した様々な要素を含む活動の軌跡は、デジタル社会の現代に問いかけるものが多くあるような気がします。だからこそ、展覧会を見終わったあとの印象は深くて強いものがありました。

今日のデジタル時代に彼がまだ活動していたとしたら、どういった活動の変化をみせていたのでしょうか?きっとそれは変わることのない普遍的な取組だったような気がしています。

本展の図録は非常に内容の深いもので、アーカイブされた作品のみならず、本展に関わったスタッフの寄稿や対談など満載の内容。美術館で購入して自宅に持ち帰るその行為や、図録を自宅に保管することでゴードン・マッタ=クラークの遺志や想いに寄り添える空気が作られていて心地良さを感じることが出来ます。

本展の鑑賞後には、彼の口癖でもあった「You Could do a better!〜君ならぼくよりもっと上手く出来るよ」に背中を押されるような形で美術館をあとにしました。

概要

「ゴードン・マッタ=クラーク展」

会場: 東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
会期: 2018年6月19日(火)~ 2018年9月17日(月・祝)
開館時間: 10:00-17:00(金・土曜は10:00-21:00)
*入館は閉館30分前まで
休館日: 月曜(7/16、9/17は開館)、7/17(火)
観覧料: 一般1,200(900)円
大学生800(500)円
*( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。

作品リストはこちら

リピーター割引: 本展使用済み入場券をお持ちいただくと、2 回目以降は特別料金 (一般 500 円、大学生 250 円)でご覧いただけます。

主催: 東京国立近代美術館
助成: テラ・アメリカ美術基金
後援: 駐日アメリカ合衆国大使館
協力: 全日本空輸株式会社、日本貨物航空株式会社、株式会社ビームス
企画協力: ゴードン・マッタ=クラーク財団、デイヴィッド・ツヴィルナー